鮨酒場 嘉兵衛・慶田盛純さん「夢を語れば人は力になってくれる」

夢を語れば人は力になってくれる。

そう話すのは東京都大田区にて「鮨酒場 嘉兵衛」を営む慶田盛純さん(石垣市出身)。

バーテンダーを目指したはずがブラックな職場で悩んだ日々、様々なジャンルを経験したからこそたどり着いたオリジナルの江戸前寿司スタイル、沖縄の若者へのメッセージなどを教えていただきました。

目次

バーテンダーを夢見て島を出るも・・

ー石垣島を出てからの下積み時代を教えていただけますか?

最初から寿司職人を目指していたわけではなく、高校生の頃はトム・クルーズ主演映画「カクテル」を見てバーテンダーになりたいと思っていました。

学校には通ってましたが「やりたいことと学歴が関係ない」と気づいたので高校3年の12月にやめました。ちょっと早めに卒業です(笑)。

まだ17歳だったので地元でバーテンダーにはなれなくて。それで長野でしばらく「沖縄あるある」の季節労働をして貯金を作って上京しました。

最初は「バーテンダー募集」と掲げる寮つきの会社に入ったんですが、配属されたのは昼間はカレー屋、夜は居酒屋を営むお店。

「努力すればバーにも配属される」と言われて頑張ってはみたものの、週休1日、朝8時~夜中12時まで働き詰め、まかないは毎日カレー1食、手取りは寮費が抜かれて8万。

今だったらスーパーブラックと言われるような労働環境ですね。

激務なのに貯金が無くなっていく一方で「これはまずい」と半年くらいでその会社をやめました。

その後はバイトで食いつないで、沖縄料理屋、焼き鳥屋、アメリカンな料理屋と、いろいろなジャンルの料理屋で経験を積みました。

慶田盛純さん

最初からまっすぐ寿司職人を目指したわけではなく紆余曲折ありましたが、これが料理人としての自分の幅を広げることになりました。

経営がわからず最初の沖縄料理屋は手放すことに

そして27歳の時に弟と料理人仲間の3人で小岩(江戸川区)に沖縄料理屋を開いて独立しました。

お店を始めてから知ったのですが、小岩は出稼ぎから移住した石垣島の人が多いんですよ。同級生も来てて「ここにいたの?」みたいなこともありました。

沖縄料理屋は3年間で3店舗まで増やしたんですが経営の素人で管理不足から売上がだんだん下がってしまって。ピンチなのにどうして良いかわからない。

その頃お店に来られた経営者のお客様からアドバイスをもらったりもしました。

そして結局、この3つの沖縄料理屋は閉店したり従業員に譲渡したりして手放しました。

次の事業準備のために選んだ仕事は日雇いドライバー。

日雇いドライバーは日当が良いんですよね。朝も夜も働いて貯金していきました。

飲食店をやりたい気持ちが途絶えることはなくて、やがてドライバーと寿司屋のバイトを並行させて修行を積み、2019年に今のお店「鮨酒場 嘉兵衛」をオープンさせました。

寿司の魅力は「ひとつひとつが料理」

ー大将の考える寿司というジャンルの魅力は何でしょうか。

慶田盛純さん

「ひとつひとつが料理」というところですね。

普通は料理って一皿に盛って終わりじゃないですか。でも寿司って一貫一貫すべてが独立した料理なんです。

そんな料理って寿司くらいなんですよね。だからひとつひとつの仕事に凄くやりがいがあります。

あとお客様に喜んでいただき、その様子を直に見れるのも楽しい。

これはバーテンダーを志した頃からずっと変わらない思いですね。

私は江戸前寿司をベースにして全国からこだわりの素材を集め、常に創意工夫してオリジナルな手間を加えています。

お酒をより美味しく楽しめるツマミや、お酒をつなぎに使った蕎麦などもご提供しています。

また沖縄の食文化の魅力を生かしたイカスミの茶碗蒸し、月桃の葉の包み寿司などもご提供しています。

慶田盛純さん

様々なジャンルの料理を経験したからこそできる、自由な発想の江戸前寿司が嘉兵衛の特徴です。

メディアでは「石垣島の大将による本格江戸前寿司」「進化する江戸前寿司」とも紹介されています。

メニューをコース制にしてるので最初はなかなかこの土地では受け入れてもらえませんでしたが、完全予約制にすることで口コミでわかってくれるお客様だけが増えていきました。

大人の隠れ家的なお店として今では日本中、遠い地域からもお越しいただいております。

沖縄料理屋時代に得た学びをもとに安定した経営に務め、店舗も少しずつ広げていきたいですね。

女将さんから見た大将の魅力

主人はお客様から「おっとりして沖縄の雰囲気ですね」と言われることがあります。

ただ私の印象は少し異なり「料理への深い情熱がある人」「信念の人」だと思っています。それは料理や仕事ぶりに表れています。

私達は沖縄料理屋を閉めた一番しんどい時に結婚しています。

その当時を思い出してしまうので、実は新しくお寿司屋さんを始めることには私は最初は乗り気ではありませんでした。

でも主人はやるって言ったらやる人なので。決めたらどんどん進んでいくんだなって思わせる行動力があります。

そしてやがて私が「やりたいなら応援するよ」って気持ちになった時にはもうすでに物件を借りてたんです(笑)。

だから私は一緒についていってこれからも支えられたら良いなと思ってます。

沖縄の若者へのメッセージ

ー最後に沖縄の若者へのメッセージをお願いします。

沖縄出身の寿司職人は少数です。よく言われるんですよ。「珍しいね」って。

まずそんな言葉が聞こえないくらい沖縄出身の寿司職人が増えてほしいですね。

あと沖縄にいると先入観で「東京の人は冷たい」と思ったりしがちじゃないですか。だけどそんなことはない。いろんな人が助けてくれる。

僕は「自分で店をやりたい」とずっと周囲に言ってたんですよ。そうして口に出して伝え続けると助けてくれる人も出てくるという実感があります。

そのためには沖縄から出てきた頃の初心、素直さはずっと忘れずにいたいです。

慶田盛純さん

若いうちは先のこと考えても結局わかんないじゃないですか。「考えずにまず行動」が大事だと思いますね。

私の場合、やりたいと思ったらすぐやらないと自分の中でウズウズする感覚があるんです。

行動を起こせば良い出会いもあるし、人生一回きりなので思い切って行動してほしいですね。


慶田盛純(けだもり・じゅん)

1982年1月11日生まれ 石垣市平得出身。平得小―大浜中卒 八重山農林高校中退後18歳で上京。沖縄料理店経営を経て2019年1月より東京都大田区にて「鮨酒場 嘉兵衛」を開業。

【Instagram】@sushisakabakahei

【Facebookページ】https://www.facebook.com/sushisakabakahei/

平良英之

慶田盛さん、お話ありがとうございました!

慶田盛さんにお仕事のご相談、ご提案がある方は「しまんちゅの翼」まで気軽にお問い合わせください。

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この記事を書いた人

東京沖縄県人会広報理事。「東京都沖縄区」代表。AFP、二級ファイナンシャルプランニング技能士、住宅ローンアドバイザー、証券外務員2種。1983年生まれ。宮古島市出身。

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