しまんちゅ仕事論

「迷うなら飛び込んで」運天那美さんの仕事論(元アクターズ、アーティスト)

運天那美さん仕事論

そう語るのは、出版社に勤務されながらロックバンド「Brocant」のボーカリストとしても活動される運天那美さん(那覇市出身)。

アクターズスクール出身で夢を持ちながらも二度挫折する経験をして、それでも様々な出会いを得て東京に「自分の居場所」を見つけてきた歩み。

そんな運天さんに東京とはどんな街なのか、沖縄にいる人々へのメッセージを教えていただきました。

 

安室奈美恵さん達と共に汗を流したアクターズ時代

運天那美さん

 

―現在のお仕事について教えてください。

出版社で編集者として勤務する一方で担当作家・今野敏先生がプロデュースする「78LABEL」所属のアーティストとして音楽活動を行っています。

―沖縄ではどんな幼少期を過ごしていましたか?

幼い頃から歌手に憧れていて母の知り合いがアクターズスクールに昔在籍していたこともあり、見学をさせてもらい小6で入会しました。

当事は安室奈美恵さんが少し前に入っていて同い年で帰宅する方角も同じだったこともあり、スクール以外でも仲良くしていました。

彼女はすぐに頭角を現して選抜クラスに。私もミュージカルやイベントなどでステージに上がっていましたが、奈美恵達主力メンバーがデビューの為に東京に出て行ってからはメンバー構成も大きく変わりました。

当時のアクターズは校長先生以外、先生という先生がいなくて、年長者が後輩を教えるというシステムで私も中学2年の頃にはジュニアクラスのインストラクターになっていました。周りはMAXやDAPUMPのメンバーもいて一緒に生徒を教えていた記憶があります。

高校に入ってからは学校が終わるとスクールに行き日曜は朝から夜までレッスンという生活でしたが、楽しかったですね。

ダンスとステージング(ステージ上での動きや目線)を教えていて、その頃から自分が前に出るよりも人を教えたり支えたりすることにやりがいを感じていました。

教えたジュニアクラスの生徒の中にはSPEEDや三浦大地君と満島ひかりちゃんがメンバーにいたFolder5がいて、15歳の頃には将来はインストラクターになると決めていました。

―その後に大きな転機が訪れて上京に至ります。

高校卒業した頃に一緒に汗を流していたDA PUMPやMAXもデビューして周囲の仲間もどんどん東京に出て行く状況で、少しずつ目標を見失って以前の様に教える事に熱意を持てなくなっていました。

スクールには20歳以上の生徒がほとんどいないこともあってか自分の場所はここなのか?と思うようになり、自問自答を繰り返した結果、20歳を前に歌と踊りは辞める決断をしました。

その後東京に行った仲間に会いたいという気持ちが強くなり、元々興味があったヘアメイクの仕事に就くため20歳で上京し、1年間アルバイト生活をして21歳で東京の美容専門学校に通い始めました。

ずっと小学校から歌とダンス漬けの毎日だったので新しいことをやってみたいという気持ちも大きかったと思います。普通の学生生活?をここで初めて体験しました。

 

人生二度目の挫折

―東京でもまた岐路に立たされたとか?

2年間で国家資格を取り美容室への就職活動を始めようとしていた矢先に友達の紹介で「新しくユニットを組むのでヴォーカルとして参加しないか?」と誘われました。アクターズでは歌を認められたことなどなかったので驚きました。

東京に出てきた当初は人見知りで寂しかった事もあり、カラオケボックスに行って1日4時間ぐらい歌いまくってストレス発散していたのもあったのでしょうか?元々声量もあったと思いますがスクール時代の歌声とは変わっていたようです。私の歌を聴いた友人が声をかけてくれました。

その後DEMOレコーディングが始まり就職活動は諦めたのですが、そのユニット自体の話が流れてしまい、さあどうしようか?と思っていた所にアクターズ時代の友人から振付の仕事を依頼され結果的にはバックダンサー兼振付もやることになりました。

やっぱり自分の居場所はダンスだと実感して22歳の終わりから27歳まで活動していました。

ところが、その友人のグループが解散することになって再び岐路に立たされました。

今までは友人のアシスタント的な立場で楽しくやらせてもらっていましたが、一人で勝負できるだろうか?と考えた時に有名アイドルの振付をしていた彼女と自分を比べると話術がないというか、人のモチベーションを高めて目標に到達させるという指導力が圧倒的に足りないと痛感しました。

独り立ちは厳しいなと。28歳。人生2度目の挫折です。

 

売れっ子作家との出会い

―現在のお仕事にはどの様にしてたどりついたのですか?

振付の仕事をしながら飲食店のアルバイトを掛け持ちしていたのですが、そこに警察小説の「安積班」シリーズや「隠蔽捜査」シリーズを代表作に持つ小説家の今野敏先生が常連で来られていて、「沖縄出身なら琉球空手知っているだろ?」と声をかけられました。

先生は元々沖縄に造詣が深く空手道場を開いていたこともあって誘われたのですが、空手は全くやったことがありません。冷やかし半分で道場に見学に行ったのですが、いきなり空手着も買わされて(笑)。でもあの道場独特の静寂がとても神聖な場所に感じて新鮮でしたね。

最初は型の意味も分からなかったのですが、出来るようになると面白くなって多いときは週4回通うようになり、現在は空手二段、棒術三段まで取得しています。

母に30歳までには沖縄に帰ると言っていたのですが、東京が楽しくなってこのままいる為には固定の仕事が必要と今野先生に相談したところ、出版社を紹介してもらい、最初は事務員として入社しました。

人生初の会社員で特に編集の経験もなかったのですが、先生からのアドバイスや明るい性格も幸いしてアルバイトを経て正社員として働けるようになりました。

現在は20人以上の作家さんの担当編集者として執筆活動をサポートさせて頂いています。

 

バンド名に込めた願い

運天那美さん

 

―会社員の一方で、アーティストとしても活動されています

今野先生が元々音楽プロデューサーをされていて執筆活動の傍ら個人的にレーベルを立ち上げることになり、試験的に先生の電子書籍のテーマソングを歌うことになりました。

最初は混乱しましたが、やっぱり歌が好きだったのでしょうね。本格的にシングルを4枚リリースさせて頂きました。

でも基本は出版社の社員であり今野先生のプロデュースということもあって、社内活動の延長線というスタンスだったので、CD販売やライブをする場があるわけではありませんでした。

歌詞は楽しく書かせて頂いていましたが、曲の大切さを今ひとつ分かっていなかった気もします。

でもある時に友人の誘いを受けて生バンドをバックにカバー曲を歌わせてもらう機会があったのですが、もう感動!の一言でしたね。

 

運天那美さん

 

これまでは出来上がったCD音源に合わせて歌っていたのですが「いったいこれは何?」というぐらい生の楽器が奏でる迫力に鳥肌が立ちました。

40歳を前にしてやっぱり自分は歌が好きで、ライブがやりたいんだと改めて気付かせてくれました。

私の声がライブ向きだという友人の言葉も背中を押してくれて、今野先生にメンバーは私が集めるからバンドを組ませて欲しいとお願いして、オリジナルのバンド活動を2019年2月24日に始動しました。

バンド名は100年以下の古道具を意味する「Brocant(ブロカント)」。40歳を過ぎ20代の様な輝きはないけども、人々に何か温かいものを届けられる“愛すべきガラクタ”になりたいという意図を込めました。

現在は会社員として働きながら、定期的なライブ活動もおこなっています。

 

 

小さなコミュニティーが私の“東京”

―運天さんにとって東京とはどんな場所ですか?

アクターズ時代の友人や父親が暮らしていたこともあり、あまり怖いというイメージは持たずに出てきた記憶があります。

人見知りという性格に加えて内地独特の直接的な言い方に最初は冷たさを感じていましたが、結局、東京は田舎者が集まっている町なのかなと思って。

暮らしていく中で友達も増え、自分の居場所が出来てくると、その場所で出会った外部から来た人間に優しくできる街と思えるようになりました。

勿論、先祖代々住んでいる方やこっちで生まれた人も多いですが、大多数は皆、1人1人が頑張って生きていて、今ある地位や名誉を苦労して手に入れた人達だと思います。

“東京”と大きな範囲で見ると威圧感がありますが、1つの街、例えば私が住む三軒茶屋に目を向けると、そこの居酒屋で顔を合わせる店主やお客さんとたわいもない会話で盛り上がっている中、人と人が繋がり素晴らしい出会いにもなります。その出会いがきっかけで仕事に結びつくこともあります。

その小さなコミュニティーがとても居心地良く感じて自分の愛すべき場所になっていく。それが私にとっての東京です。

―最後に読者にメッセージをお願いします。

もしあなたが沖縄を離れるかどうか悩んでいるならば、すぐに飛び込んでみることをお勧めします。限られた人生の時間の中で二の足を踏むのは長ければ長いほどもったいない。

その場所が合うかどうかは実際に体験してみないと分かりません。例え沖縄に戻ることになったとしても、飛び立つ前以上のものを手にしているはずです。それは体験したからこそ分かるもの。

私も度々転機で迷い流されてきた人間ですが、その度に人との出会いがあり現在に導いてくれました。これは沖縄では無かった出会いです。沖縄の素晴らしさを再認識するために、一度、外から島を見つめてみるのもいいかもしれません。

 

運天那美さん

運天那美(うんてん・なみ)

1978年2月24日生まれ。那覇市出身。首里高校卒業。 沖縄アクターズスクールのインストラクターを経て、東京でバックダンス、振付などの経験を積む。作家・今野敏氏が立ち上げた空手道今野塾に入門後、今野氏が主宰する音楽工房78Labelから「One day」をリリース。現在は角川春樹事務所書籍編集部に勤務する傍ら、ロック音楽を主体とするバンド「Brocant(ブロカント)」のヴォーカルとして活動する。 2020年4月4日に1stミニアルバム「Wings Of Liberty」が発売。

 

平良
運天さん、お話ありがとうございました!

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